朝食の片づけを終えて、掃除も終えて。
僕はひとりソファに寝転んで、しみが目立ち始めてきた天井を見やった。
一昨日から読んでいた本は読み終わってしまっていた。
外へ出かけようにも今日も雨が降っている。
昼食の準備にかかってもよいが、その気も起きない。
…本棚に新しく並んだ本を読む気にもなれず、ただじとじとする湿気に身を任せた。
弱くなってきた雨足がそれでも窓を叩きつけている。
僕を飽きさせないようにと書泉と呼ぶに相応しい本棚をさらに本で一杯にする。
ささやかな花瓶に通り道から調達してきた花を飾る。
そのくせ、基本的な家事はあまり熱心に行わない。
そんな彼は仕事で今日も街中を走り回り患者の家々を訪ね歩いている…ようだ。
見覚えのある傘が窓の外を通り過ぎた。
雨粒を払う傘の音が玄関からバサバサと聞こえる。
毎度毎度騒々しい家主(と物静かなパニョ)の帰宅。
僕はこれから来る騒音に備え、机の上に置かれていた雑誌を開き適当なページをめくった。
それを頭からかぶって寝たフリ。
なおも足音はハイペースで近づいてくる。
深呼吸して目を閉じると、嬉しそうな騒音が扉を突き破る勢いでやってきた。
衝撃で雑誌がばさりと落ち、カタカタと窓枠が鳴った。
新風のように走りこんできたのは、瞳を輝かせた妙齢の男。
居候をしているこの家の家主で聖明という変わった医者。
「たっだいまー」
「…おかえりなさい」
「お昼なんだけど、今日は何がいいかな?」
「…」
いつもいつも飽きもせず、彼はよく同じ言葉を口にする。
僕が答えないと知っているはずなのに、彼はぬいぐるみに話させてまで話題を作りたがる。
ぬいぐるみの手足を動かし、年齢を感じさせない上目遣いで僕の顔を覗き込んだ。
「何々?パニョ君は風真君が何か食べたいものがあるって言ってるよ」
「ぬいぐるみがしゃべるわけないだろう、ヤブ医者」
僕が雑誌を机に投げ置き立ち上がるとと、彼は何やら思いついたように手を打った。
ぬいぐるみを片手に素早くそれをとると、ぱらぱらとページをめくっていく。
「ふんふん、これならできそうだ」
と嬉しそうな声があがった。
顔中に広がった彼の笑顔にみるみる間に熱が加わっていく。
嫌な予感。
僕が机の上に投げ捨てた雑誌の表紙には大皿のパスタ料理が湯気を上げていた。
「風真君てば、実はパスタ好きだったんだねvV」
「…」
「よっし、レシピもあるし。今日は私が作るよ」
じっとりと睨んでやるが、彼は意に介することなく鼻歌を歌い始めた。
くるくると踊るように台所を隅々までチェックし始める。
全く興味がなかったので気づかなかったが、ここの台所は意外となんでも揃っていた。
なみなみと水を張った鍋を火にかけながら、彼はにっこりと嬉しそうに笑う。
長い髪をくるくるとまとめると、そでをまくった。
「そいえば、最近食べてないからいい機会かな」
珍しく白衣を脱いでエプロンに着替えた彼が、てきぱきと狭い台所を走り回る。
気づけば、食器棚から引っ張り出した皿を瞬く間に机に乗せていた。
どれもこれも温かい湯気を上げていて、春先だというのに窓ガラスが曇りかけている。
僕はいつの間にか、テーブルクロスまでひかれた食卓に座らされていた。
「おまたせ、風真君」
「いらない」
狭い食卓机は深皿に占拠され、山盛りのパスタからはもうもうと湯気が上がっていた。
青い皿にはズッキーニとナスの色を引き立てる赤のトマトソースがかかっている。
緑の皿の黄色いオムレツの下からその鮮やかな色をのぞかせるナポリタン。
ホワイトソースにホウレン草の緑がきいているチキンクリームソース。
白ワインの香りが豊かなアサリのボンゴレは艶々と白い皿の上で輝いている。
そして僕の前には、カリカリのベーコンとチーズがたっぷりのカルボナーラが鎮座していた。
「なんでーーー!!みんな自信作なのにー」
「量を考えろ、量を!!」
更に皿を運んでこようとする聖明を椅子に押し込んで、フォークを握らせた。
このままこいつを台所に立たせておいては、食器棚にある皿が全て机に並んでしまう。
彼は不満そうだったが、僕もフォークを握ると彼は大人しく席について手を合わせた。
「いっただっきまーす」
「…」
ご丁寧にパニョ君の前にも小皿に盛られたパスタが並んでいる。
モチロンのことパニョ君の小皿は減らないが、二人の前の深皿は着々と減っていった。
パスタはその見かけを裏切らず味も中々いけるのだ。
奴に言えばますます図に乗るので絶対に言ってやらない。
絶対にだ。
絶対に一言もっ!
「…」
「…お、どれも意外と美味しい」
ポロリと洩らした聖明の一言に僕の方が思わずフォークを取り落とした。
そいえば、こいつが台所に立って料理をしているところはあまり…いや全然見ない。
食事にしたって、朝食以外は外食に出かけることのほうが圧倒的に多い。
そして、まるで調薬でもするかのように手順と分量はキッチリしていたが…。
どうも作る最中は料理で必要な『味覚』にあまり頼っていなかったような…。
「もしかして、全然味見してなかった…とか?」
「え…、だって本にある通りに作ったんだよ」
聖明はきょとんとした顔をして、食べ終えた自分とパニョ君の皿を片付けた。
上機嫌に鼻歌を歌いながら、大きなティーソーサーにたっぷりお茶を入れてくる。
それを横目で見ながら、一気に食欲が満たされた僕はダラダラとフォークを動かす。
ナポリタンの海に沈んだ四足のタコウインナーをフォークで突き刺して口に運んだ。
僕の皿にはまだ三割ほど残っている。
「ゆっくり食べなよ。無理しなくていいからね」
ソファに移動した彼は本を手にとって、
先ほど見ていたと思しきページをぱらぱらとめくる。
ふわふわと立ち上るティーカップの湯気をゆっくりと吹き、少しずつ口をつけている。
「…」
「…」
残ったパスタにラップをかけて、冷蔵庫の一番手前に仕舞う。
ソファを見れば、奴はまだ黙々と雑誌をめくっていた。
「ありがとう…」
「ん、なにが?聞こえなかったかも」
くすくすと笑って彼が僕の分もお茶を注ぐ。
ソファの横にいるパニョ君を膝にずらし、ポンポンと空いたクッションを叩く。
促されるように僕はそこに座った。
「…、何回も言わせるなよ。馬鹿」
「何回でも聞きたいじゃない?…何回でも言ってほしいよ」
ヤツには珍しく真剣な顔。
僕はやつのこういうところが、…嫌いだ。…キライだ。
耳が熱いし、頬も熱くなるから…。
奴の目を見ないように努める。
「絶対、言ってやらない…。お前なんか知るかっ…」
「あはは…」
乱暴に腰を下ろした僕にお茶を差し出して、ぽんぽんと頭を撫でる。
窓の外はまだしとしとと雨が降り続いている。
だが、雲の合間からは柔らかな初夏の日が差し込んできた。
*************
…三日後。
「風真君、今日のごはんつくって~」
「その前に、この机の上のこれを何とかしてくれ」
机を占拠しているのは黒く炭化したハンバーグと形なく崩れたコロッケ。
どうやら、奇跡は一度だけだったようだ。
しばらくは、また「ありがとう」と言えないな…。
END
原案:灯夜雪
小説:霧雨靄
2006発行
—————–あとがき———————
霧雨靄
カゴノトリの風真くんへ
闇と司る聖明さんへ
彼らを見守る作者様へ
ありったけの愛と温かい優しさを込めて…
ゲスト参加をさせて頂きました。霧雨靄(サークルメンバー)です。
作者の灯夜雪ちゃんにお世話になってはや幾年。
嬉し恥ずかし初共同作品です。
カゴノトリのキャラは思い入れが強いので大好きな聖明さんとその彼が大好きな風真くんを
少しでも感じて楽しんでいただければ幸いです。
灯夜雪
お疲れ様でした☆
何度読み返しても、思わずニヤケてしまう素敵な小説にトキメキを感じております!
もしかしたら、私以上に二人を理解しているのではないだろうか?
と、思うぐらい、霧雨ちゃんの小説は理想的です!
とても素敵な小説ありがとうございました☆
また、合同で同人誌を作りましょう。
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